なぜ曹操には多くの人材が集まったのか?その4つの理由 1/2ページ目




三国志

コーエー(光栄)のSLG三国志をプレイしていると明らかですが、曹操のもとには多くの優秀な人材が集まっています。もちろんこれは実話でも小説でも同じで、曹操には武官文官を問わず、有能な家臣が多く集まっていました。

なぜでしょうか?その理由について調べまとめてみました。

1.荀彧の地縁

曹操はえん州を呂布に奪われると、新しい拠点に豫州の潁川郡に求めました。

潁川郡は、隣の汝南郡と並んで名士が集まる中心地であり、荀彧の故郷でした。

荀氏は名士の本流の家柄です。潁川における荀彧の影響力は大きかった。荀彧の地縁が曹操の家臣団を強化することになったのです。

荀彧が推挙した潁川出身者の面々は、まさに綺羅星のごとし…郭嘉、陳羣、鍾よう、荀攸などなど、いずれも曹操を中枢で支えた人材です。

ちなみに曹操は後に荀彧を殺害しますが、儒教的な価値基準をもった荀彧が漢王室をはろぼすことに反対したためです。荀彧はたしかに曹操の権力強化に人材を紹介し協力しますが、それはあくまで漢王室の復興のためだったのです。

2.血縁の重視

曹操は、張遼を除いて、一万人以上の別動隊を曹氏・夏侯氏以外に、ほとんど指揮させませんでした。

曹氏と、曹騰の養子に入った曹嵩の実家である夏侯氏という宗族(祖先を共通と考える血縁集団)への、曹操の厚い信頼がうかがえます

なかでも、従弟の曹仁と、夏侯惇に対する信頼は絶大だったことは、三国志を読んだことがある人ならば、理解しやすいでしょう。

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