曹操があこがれた2人の英雄 曹騰と橋玄 1/2ページ目




三国志

曹操といえば、三国志において、正史では英雄、演義では悪役です。いずれにせよ、主要登場人物ですが、その内面はあまり知られていないのではないでしょうか?

もちろん二千年近く前の人物ですから、その気持ちや人がらを知ろうにも限界はあります。しかし、三国志研究書を見ると、資料から明らかにされている部分もあるようです。

今回は、曹操が理想とした人物を探ってみましょう。

祖父・曹騰

曹騰(祖父で宦官) ― 曹嵩(父)― 曹操

曹操の祖父は宦官でした。この事によって、例えば袁紹の配下である陳琳に「宦官の醜悪な子孫」と罵られていたりします。

ただし、この宦官である祖父・曹騰は傑物でした。

そして曹騰の人脈は、孫の曹操が乱世に打って出る際に大きな力となりました。

曹騰は確かに幼い桓帝を擁立し権力を握った悪名高き部分があります。

その一方で、天下の賢人を皇帝に推挙し、西北の異民族と戦いを繰り広げた将軍たちと親交を結びました。

とりわけ西北の将軍の軍事的な能力・戦法は曹操の騎馬隊に継承されているのです。

曹操の騎馬隊

曹操の傑出した軍事的な才能は、最も得意とした騎馬戦術に発揮されています。これこそ涼州など西北烈将から受け継いだものでした。

その意味で、同じ西北に起源を持つ騎馬戦術を用いる馬超との戦い(211年潼関の戦い)は、三国志の中でも名勝負と言えるでしょう。

馬超は董卓が率いた涼州兵の流れを汲む軽装騎兵、機動力を活かした戦術が可能です。

曹操は「虎騎(虎豹騎)」(最精鋭部隊)を中心とする重装騎兵(全身を馬よろい・馬かぶとでおおった騎兵)でした。

結果はおとり戦略をつかった曹操の勝利。曹操の騎馬戦術がいかんなく発揮されました。

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