三顧の礼の真実① 3回ではない?!20歳年上の劉備がみせた孔明への最大級の「礼」




三国志

「三顧」は3回ではない?!

現在でも「三顧の礼」はよく知られており、三国志の名場面の1つです。

ウィキペディアによれば、

 
 
三顧の礼(さんこのれい)は、故事成語のひとつ。 目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすること。 中国で劉備(りゅうび)が諸葛亮(しょかつりょう)を迎える際に三度訪ねたとする故事に由来する。
 
と説明されています。
ここで問題にしたいのは、「三度」という部分です。
実は、この3と言う数字は、中国では必ずしも3回ということではないのです。
むしろ、「何度も」といった意味合いであることもあるのです。1度ならず、何度も足を運ぶ。それが「三顧」の意味なのではないでしょうか。
もちろん実際に劉備が何度頼みに行ったかは明らかにはなっていません。
しかし、一度断られたからといって諦めるのではなく、何度も言って孔明を口説き落として、最終的に自分の陣営に引き込むことに成功したということでしょう。
 
 

劉備の「礼」

諸葛亮と劉備。2人の年齢差をご存知でしょうか?
劉備は161年生まれ、諸葛亮は181年生まれですから、劉備の方が諸葛亮よりも20歳も年齢が上、つまりかなり年上なのです。
現代でも20歳は大変な年齢の違いですが、当時の感覚では、人生50年として、20歳違うという事は子ともと大人ほどの差があると言ってよいと思います。
三顧の礼は207年ですから劉備は40代半ば、それに対して孔明は20代です。
 
 
劉備はそろそろ人生の円熟期と申しますか、熟年です。それに対して孔明は20代後半です。
儒教の影響が強く、長幼の序を重んじる中国社会であれば、むしろ孔明の方が劉備に対して礼儀を失わないよう慎重に応対しなければならないところです。
しかし実際は、劉備の方が孔明に礼を失しないないように最大限の気をつかっている。
例えば、有名な話ですが、孔明が昼寝の最中であると聞くと、劉備は眠りから覚めるまで静かに待っていたりしています。
 
 
由緒正しい家柄であることを実証する熟年の男性が、駆け出しの青年のもとに身を屈してお願いに行っているのです。
年齢差を頭に入れた上で三顧の礼を考えると、それほどまでに孔明は劉備とって大切な人材であったということがわかります。
 
以上、「三顧の礼の真実」について考えてみました。
参考:『三国志の道標』関西大学出版部
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