名作!バタフライツールのすべて 開発秘話から復活物語まで




インテリア

基本情報

バタフライツール Butterfly Stool (1956)
柳 宗理 Sori Yanagi
W420×D310×H387㎜ SH340㎜ 天童木工

年表

1953年、すでにチャールズ・イームズ夫妻に面会し成型合板の家具をめぐって大いに刺激を受けていた柳宗理が開発に着手

1954年、天童木工によって製品化(商品化)

1956年、東京銀座の松屋で開催された「柳宗理工業デザイン展」でデビュー

1957年、第11回ミラノ・トリエンナーレ展に招待出品(出品したブースは金賞受賞)

1958年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のパーマネントコネクションに選定

1989年、従来からのローズウッドに加えてメープルを追加

デザイン

ふわりと舞う蝶のように軽やかなシルエットがこのツールの命です。ただし、デザインされた当時はこの形の実現が難しく、完成まで約3年の年月を要した。結果MoMAも認める世界的傑作となりました。

1960年代、時代はアノニマスデザイン(無名性が強い、あるいはブランド名がわからないデザイン)全盛の中での、柳の口癖「日本は世界の文化の吹き溜まりだ!」そんな「吹き溜まり」から産まれた、これ以上ないほど個性的な椅子でした。

これほど成型合板を湾曲させた家具は、当時外に存在せず、ルーブル美術館の永久所蔵品にもなっています。

現在でもジャパニーズモダンデザインのアイコン的な椅子であり、座るより愛でるための椅子かもしれません。それにしても、どこにおいても絵になります。欧米でも販売されている日本を代表する椅子と言えます。

開発

柳のデザイン性は机上の空論ではなく、材料をいじったり模型を実際に作ったりするところから生まれる。このバタフライスツールも、板材を触っているうちに生み出された手遊びの造形による形であると言われている。

日本のデザイナーたちは1950年代、イームズ夫妻の成功に刺激され、3次元に加工したの家具作りに高い関心を持っていました。柳もその1人です。イームズが合板を3次元に加工した「LCW」を目の当たりにした彼はさらに制作意欲をかき立てられます。

こうした過程で生まれたのがバタフライスツールでした。

柳はプラスティック板を手遊びしている中でこの形にたどり着きました。

柳はそのデザインを整形合板で知られる天童木工に持ち込みました。ところが同社はこれほどまでに大きく合板を3次元に加工した経験がありません。当時同じようなものは他の国も存在せず、ここから挑戦が始まります。

まず柳手作りのプロトタイプから図面を作成。それをもとにプレス用の型を作ります。

長年にわたる技術者たちの努力の結果、バタフライスツールが完成したのは1956年のことです。

成型合板

高いデザイン性は成型合板(プライウッド)によって初めて可能になりました。この椅子によって、成型合板の可能性が日本の家具業界に広められたとも言われています。

成型合板とは?一言で言うと丁寧に作られた「ベニヤ板」です。木材を1ミリほどの厚さに加工し、それを何枚か接着剤で貼り合わせたものです。こうすることで無垢材では簡単に実現できない大きな木製の素材が完成します。強度がある上に質も安定しているので、大量生産に適した素材です。

天童木工が成型合板の家具を作るようになったのは、1947年に高周波発振装置の購入がきっかけです。

この機械の原理は高周波を与えると対象物が発熱し、接着剤が早く乾燥して固まるというものです。現在の価格で言うと7000万円位の価格です。地元の名士である社長からのプレゼントでした。

天童木工はこの機械と新素材を用いて、前時代の重たい家具とは違った、シンプルで軽やかな家具を続々と発表していきます。

これによって現在では天童木工と言えば、成型合板の家具メーカーというイメージが定着しています。

構造

同じ形状の成型合板を左右対称形になるように接合。上部はネジ2本で留め、下部は真鍮の丸棒1本で確保すると言うシンプルな構造。

名前の由来

見た目が蝶をイメージできることからネーミングされました。

名付けの親は不明だが、ハンス・ウェグナーに「私の日本の弟子」と言われていた、家具デザイナー水之江忠臣の可能性が高いと言われています。

座り心地

実際に座るとお尻が痛くなってしまうという問題があります。またするので背がないので体重の分散もできず長く座っている事は難しいかもしれません。

現在はバタフライスツール用の座布団が販売されています。デザインは素晴らしいが、座りにくい椅子の代表的なものです。オブジェとして使用している方の方がずっとずっと多いでしょう。

もともと、バタフライスツールが畳の部屋で使用することも想定されていたようで、独特な形なのです。やはりどこか和の雰囲気を感じさせます。和室に置いている方も多いと思います。

当初は足の接地面がベタ付きだったのですが、今は形が変わり4点で支えているので畳が凹んでしまうかもしれません。

販売不振と復活のきっかけ

バタフライスツールは今でこそを広く認知され、国内だけでも年間1000脚以上が販売されています。

しかし発売当初は価格も高くそれほど売れませんでした。時を経るに従い販売数は伸びたものの、多いとしても数百脚止まり。1992年にはわずか20脚弱しか売れていません。

普通なら生産中止になる数ですが、「わが社のルーツとなる『成型合板』の家具だから、残していきたい」と言う当時の社長の指示で細々と販売が続けられてきました。

長い間販売を苦戦していたバタフライスツールが注目されたのは、1990年代後半、20世紀半ばのデザイン、いわゆるミッドセンチュリーブームの際に再び注目されるようになります。この結果いくつかの雑誌で柳宗理の大きな特集が組まれ、まとまった数が出るようになったのです。

参考:『名作家具のヒミツ』エクスナレッジ、『美しい椅子2』枻文庫、『名作椅子と暮らす。』マガジンハウス、『We Love Chairs』誠文堂新光社、『この椅子が1番! 』誠文堂新光社

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