今さら聞けない?!中島翔哉のFCポルトっていうクラブについて知っておきたい5つのこと




サッカー

FCポルトをつくった人は?

「FCポルト (Futebol Clube do Porto)」は1893年に誕生しました。
初代会長のニコラウ・デ・アルメイダは、ポルト名産の赤ワイン「ポートワイン」の輸出業者でした。
彼が仕事でイングランドに行った際にサッカーと出合い、クラブの創設を決めたという。そのため、設立当初のクラブ名にはポルトガル語ではなく、英語の「フットボール・クラブ(Football Club)」が用いられていました。
おもしろいことに、1894年に最初の試合を行いましたが、クラブはその直後に休止状態となります。原因はニコラウの妻がサッカー嫌いだったためだともいわれています。

ポルトの人口とかは?

FCポルトの本拠地であるポルトはリスボンの北約300キロに位置し、リスボンに次ぐ第2の都市で、北部の中心都市です。
ドウロ川河口に近い港湾都市でもあり、人口は約26万人ですが、都市圏では推定約160万人にもなります。

実はポルトガルの起源

ポルトの起源はローマ帝国時代以前にさかのぼります。ラテン語で「カレ」という地域の港だったため「ポルトゥス・カレ」と呼ばれ、この訛りがポルトガルという国名の由来となったといわれています。
ホームのユニフォームは青と白がクラブカラーが用いられていますが、これは創設者たちが国のアイデンティティを示せるものとして、かつてのポルトガル王室の旗と同じ色にしたためです。

不評のエンブレム

現在のエンブレムのデザインは、1922年に選手だったアウグスト・バプティスタ・フェレイラが考案。
もとのデザインに、1935年まで使用されていたポルト市の紋章を組み合わせた。
王冠上部、舌を出している緑色のドラゴンは、かつてポルトの町を救ったといわれるクラブの神話的シンボルです。
ただし、緑色はポルトの最大のライバル、スポルティングのクラブカラーであるため、一部熱狂的なファンは不満に思っており、旗やマフラーにドラゴンをあしらう際は青色にしているといいます。
ドラゴンが首に巻いているスカーフにはラテン語で「INVICTA」と書かれています。これは「無敵、負けない」という意味です。

ドラゴンズ!

2003年に完成した、5万2000人収容の「エスタディオ・ド・ドラゴン(Estádio do Dragão)」です。ポルトの救世主となった伝説にあやかり、ドラゴンの名を冠しています。
スタジアムの正門の壁には茶色のドラゴンが描かれ、チームの愛称やサポーター、そしてオフィシャルマガジンも 「ドラゴンズ」という名です。
以上、「今さら聞けない?!中島翔哉のFCポルトっていうクラブについて知っておきたい5つのこと」でした。
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