詩の天才・曹植の兄
魏の初代皇帝。字は子桓。曹操の3男です。彼には曹植という弟がいて、現在でも、伝わる詩文が天才的とされる人物。
曹操はこの曹植を愛し、このために激しい後継者争いも起きたのですが、217年にやっと正式な後継者となりました。
ちなみに、曹丕も文人として優れ、『典論」という文学論を残しています。
後漢を滅亡させた人物
曹丕にとって、後漢は終わった王朝でしかありません。二代目であるために人間関係的な感傷もありません。容赦なく、後漢の献帝に帝位の譲位を迫り、同年に後漢は滅亡。曹丕は魏王朝を建て、その初代皇帝となりました。
冷酷無惨の皇帝
曹丕は、万事において容赦なく、酷薄でさえあるのが特徴。わかりやすく言うと、思いやりがないのです。
関羽に降伏した于禁が帰還すると、彼をいびり殺したり、ケチで有名だった曹洪に借金を断られた過去を恨み、皇帝になってから殺そうとしたりしています。于禁にしても曹洪にしても、創業の宿将であり、後者に至っては一族の長者です。
ただし、その容赦のなさが、乱世の新国家には有効でもあり、体制を整え、国を軌道に乗せた功績はある。凡君とは言えないでしょう。
しかし、226年に病で急死。後継した長男の曹叡も早く死に、以後は幼帝が続き、重臣がこれを補佐する形が続きます。
このような中、蜀の諸葛亮と戦い、遼東で公孫淵を討伐した司馬懿の権限が強大になります。後漢の中の曹氏がそうだったように、いつしか、魏は司馬氏の傀儡政権となってしまうのです。
参考:『新説!三国志』枻出版社など