実在したの?秦の六大将軍〝怪鳥〟王騎、史実との比較【キングダム】




キングダム

キングダムの王騎

中華にその名を轟かせた、秦の六大将軍のひとり。王騎は、昭王(政の3代前の王として55年の在位中、戦場で過ごしたカリスマ)に心酔し、中華統一の夢を追い数多の戦場で猛威を振るいました。

武の名家(士族)・王一族の分家に生まれました(本家筋に王翦・王賁)。修練を積み、13歳で戦場へ身を投じ、すぐさま頭角を現すこととなります。

若くして百将の位についた(この当時は生涯の友となる晶文君の後輩)後は、瞬く間に将軍まで上り詰めます。戦乱の世であったことが多くの武功を積む好条件となり、数々の実戦を経験したことで王騎の戦術眼は養われました。

圧倒的な武勲から、やがては秦の六大将軍に数えられ、昭王配下として中華統一の夢を追い、戦場を駆け巡りました。

戦神として各国に恐れられた昭王も老いには勝てず、志半ばで果てると、戦いの日々に充足を感じていた王騎は、昭王の死とともに生きがいを失い、昭王亡き後は前線から退きます。

しかし、中華統一を語る政に昭王の姿を重ね、王の器を見た王騎は復帰を決意。過去の自分にけりをつけるため戦場へ舞い戻ります。

趙軍を討つため秦の総大将となります。しかし、趙の三大天、龐煖の武と李牧の知勇により戦場で命を落とします。

最期の瞬間まで大将軍としての威光溢れる姿に、部下たちは号泣します。彼の亡き後も信を始めとする多くの者に遺志が受け継がれていきます。

史実の王騎

漫画『キングダム』の中の王騎は、秦の「六大将軍」の最後の生き残りで、「秦の怪鳥」の異名で敵味方を問わず畏怖された武将として描かれています。

しかし、実は「六大将軍」も「秦の怪鳥」も司馬遷の『史記』には見られません。

王騎の名前も秦の始祖から政の父・荘 襄王の代までを記した『史記』の「秦本紀」には見られず、その名が登場するのは「始皇本紀」のみです。

とはいえ、王騎が有力な武将であったことは事実です。秦王政の即位とともに、蒙鷲(もうごう)・麃公(ひょうこう)と並び将軍に任じられたことからわかります。

ただし、「始皇本紀」でも王騎の名は二カ所にしか登場しません。一つ目が将軍に任じられた記述で、二つ目は死去を伝えるものです。

しかも、記述もしごくあっさりです。秦王3年の事として「蒙鷲が韓を攻め、13の城を奪取した。王崎死去」とあるだけなので、戦死か病死かも不明ですが、昭王(在位前306~251)代から活躍していたのでしょう。

まとめると、嬴政(えいせい)の即位時に将軍になった古株の将軍といったところです。確かに実在したらしい将軍ですが、ほとんど記述がないからこそ、原泰久先生の創作力が遺憾なく発揮され、漫画では大変魅力的な人物として描かれていたのですね。

参考:『春秋戦国の英傑たち 五覇七雄の光芒』双葉社など

タイトルとURLをコピーしました