軍師には2種類いる!郭嘉・程昱・賈詡タイプと荀彧・荀攸タイプとのちがいを比較!【もっと知りたい!三国志】




三国志

人材こそが勝負の分ける時代

三国志の時代の戦いは人材の戦いです。十万の兵をうしなっても資金があればまたすぐ集められますが、人材はそうはゆきません。

君主は、曹操が代表的ですが、人材あつめに躍起になります。幾つのものの勢力が争っている時は、優秀な人材は将棋の大駒のようなもので、こちらが一人をおさえればすくなくともその人物はむこうにはいないわけだから、プラスマイナスの差になります。

だから時には腹の虫をおさえて取らねばならぬこともあります。曹操が自分のむすこを殺した張繡と賈謝を召し抱えたのはいい例です。

文臣>武将

人材には文臣(文官)と武将とがあります。中国は歴史的に文臣絶対優位ですが、三国志のような戦乱の時代でも、実は文臣が上位です。

文臣の2つのタイプ

その文臣にも2種類います。

①戦争戦術の文臣

まず当面の戦争の戦術策定に参与するなど、個別具体的問題の解決にあずかる文臣がいます。

この個別事項型謀臣の代表ですが、曹操の魏ならば、程昱、郭嘉、賈詡でしょう。

②政治の文臣

もう一つは、治政方針とか将来計画とか、あるいは経済政策とかマクロな戦略とかの大局について、献策したり相談にあずかったりする文臣たちです。

この大局型謀臣の代表ですが、曹操の魏ならば、荀彧、荀攸でしょう。

地位は、どちらかというと、後に述べた政治を中心に考える大局型が上位です。

君主が優先的に欲しかったのはどっち?

三国志の君主たちが優秀な文官探しに血眼になるのですが、いちばん欲しかったのは大局型文臣でした。

蜀の劉備配下では

劉備配下の大局型には、当初、一に孔明、二に孔明、三四がなくて五に孔明、つまり諸葛亮しかいませんでした。

その劉備陣営にナンバーツーとして参画したのが龐統でした。彼の活躍によって劉備は蜀をとれた!言い換えれば、龐統が歴史の表舞台に出てこなければ、劉備は三国の一角にはなれなかったのです。

参考:『三国志きらめく群像』ちくま文庫など

画像の転載元:http://drg75.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/147-223-80c6-1.html

タイトルとURLをコピーしました