【三国志 正史と演義の比較】袁燿(えんよう)、袁術の嫡男だが呉(孫策・孫権)に臣従




三国志

袁術の嫡男。兵の質草に孫策から玉璽を手に入れた表術が皇帝を借称すると、東宮(後継者)にたてられました。

父の袁術が次々と戦に敗れ、逃亡中に病死すると、孫策に許されて臣従しました。

以後は呉に仕えつづけて、孫権の代には郎中になったといいます。

演義の袁燿

記述なし。

正史の袁燿

正史にはわずかに記述があります。

父・袁術が零落すると、いとこの袁胤に守られ母たちとともに父の元家臣だった藍江太守・劉勲を頼って落ち延びます。

しかし劉勲が孫策軍によって打ち破られると、行き場を失って家族ともども孫策に引き取られました。

後に袁術の娘は孫権の妾になり、袁耀は郎中に取り立てられるようになります。さらに袁耀の娘は孫権の子・孫奮に嫁ぎました。

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