袁術の嫡男。兵の質草に孫策から玉璽を手に入れた表術が皇帝を借称すると、東宮(後継者)にたてられました。
父の袁術が次々と戦に敗れ、逃亡中に病死すると、孫策に許されて臣従しました。
以後は呉に仕えつづけて、孫権の代には郎中になったといいます。
演義の袁燿
記述なし。
正史の袁燿
正史にはわずかに記述があります。
父・袁術が零落すると、いとこの袁胤に守られ母たちとともに父の元家臣だった藍江太守・劉勲を頼って落ち延びます。
しかし劉勲が孫策軍によって打ち破られると、行き場を失って家族ともども孫策に引き取られました。
後に袁術の娘は孫権の妾になり、袁耀は郎中に取り立てられるようになります。さらに袁耀の娘は孫権の子・孫奮に嫁ぎました。