字は平叔。後漢朝の大将軍・何進(かしん)の孫。母の升氏が曹操の側室になった時、何晏も連れ子として引き取られました。
曹丕には遠ざけられましたが、曹叡の代、曹爽に愛されて侍中尚書にまで昇格。
曹爽の腹心と目され、太尉の司馬認を権力の座から遠ざけよと進言しましたが、司馬懿のクーデター時に一族皆殺しにされました。
演義の何晏
何進の孫とはありますが、演義では、曹操の親類になった事実には触れていません。
曹爽派の中心として、司馬懿から実権を奪うよう進言。
占者の管輅(かんろ)は死期を見抜くが、何晏には知らされず、その予言通り司馬懿に殺されます。
正史の何晏
曹丕を筆頭に、魏朝の多くの人に嫌われた、とあります。