霍弋(かくよく)、諸葛亮に抜擢され劉禅によく仕え、蜀滅亡に三日間落涙した忠臣【三国志 演義と正史のちがい】




三国志

字は紹先。荊州の武将で後に劉備に仕えた雀峻の子。蜀の建寧の太守。

演義の霍弋

益州の首都成都の陥落の報に接し、喪服を着て西の方を向いて三日間泣き続けたました。

降伏を勧める魏の将軍たちに「魂が陛下(劉禅)を礼遇しているのなら降伏もしよう。だが、もし陛下が辱めを受けているのなら死んでも降らぬ」と答えています。

霍弋は事実を確かめるために、洛陽に使いを出して劉禅の消息を探らせ、劉禅が安楽公に封せられたことを知ったのちに部下とともに投降しました。

正史の霍弋

諸葛亮に抜擢され、その子、諸葛喬とともに見聞を広めるため旅をしました。

諸葛亮の死後、黄門侍郎。劉禅の子・劉璿の中庶子としてよく務め、皇太子の人格を磨きました。

永昌郡の乱鎮圧のため太守を兼任し、後には建寧の太守。

蜀滅亡後は魏に降伏し、以前の職のまま厚遇されました。降伏の際、開城を急かす家臣の軽挙をたしなめる。

晋では司馬昭に信任されて南中都督となり、交阯、日南、九真の三郡を平定しました。

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