麴義(きくぎ)、袁紹の武将で、公孫瓚配下時代の趙雲に討たれる【三国志 演義と正史の比較】




三国志

袁紹の武将。公孫瓚征伐に従い、厳綱を討ち取るなどの活躍があった。

演義の麴義

袁紹に冀州分割の密約を反故にされた上、弟の公孫越を殺された公孫瓚は、怒り心頭に発し、冀州に攻め寄せ、袁紹と対陣する。

この際に麹義は、弩隊800名と歩兵1万5千名を指揮した。

厳綱率いる敵の先鋒隊が進撃してくると、麹義は十分に敵を引き寄せたのち、石火矢の合図とともに、弩隊に一斉射撃を命じる。

あわてて後へ退こうとする厳綱に、単騎駆け寄ると、刀で馬上から斬り落とした。

手勢を率いて公孫瓚を追撃するが、当時公孫壇のもとにいた超雲に出くわし、数合も打ちあわずに、突き殺された。

正史の麴義

麹義は長く涼州にいて羌族の戦法に習熟しており、配下には勇敢な精鋭が揃っていた。

先鋒として八百の軍勢を率いた麹義は、公孫瓚の送った騎兵を撃破。

また、哀紹が公孫瓚の奇襲を受けて包囲された時には救援に向かい、これを助けた。

しかし、麹義は後に功績をかさにつけ上がり、勝手な行動をしたため、袁紹に殺害されたとある。

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