許貢(きょこう)、孫策の北上を曹操に報せようとするも露見…【三国志 演義と正史の比較】




三国志

呉郡都尉、呉郡太守。

演義の許貢

曹操が袁紹と争う隙を衝き、孫策が大軍とともに北上して留守の許都を攻めようとした。

江東を平定した孫策は、大司馬に就きたい旨をを申し出る。しかし、曹操が承諾を与えなかったので、孫策はこれを深く恨み、許都を襲撃する機会をうかがっていたのである。

孫策の目論見を察知した許貢は曹操に知らせるべく、密書を送る。

ところが、使者が長江を渡る際、孫策の配下に捕らえられてしまう。

書面を見て激怒した孫策に、許貢は呼び出される。密書を突き付けられ、詰問されるが、答える言葉もなく、ただちに絞殺された。

許貢の家族はみな逃げ去ったが、後に許貢に大恩を受けた食客三人が孫策を襲い、その矢傷が原因で孫策は死ぬ。

正史の許貢

かつて朱治が呉郡に侵出した時、許貢はこれを防げず厳白虎のもとに落ち延び、太守の座を追われた。

孫策の北上は、広陵太守の陳登を攻めるためだったともいう。

許靖と親しかった。

タイトルとURLをコピーしました