許攸(きょゆう)、官渡の戦いで袁紹から曹操に寝返り勝利を導いた【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は子遠。南陽の人。袁紹の幕僚だった。

演義の許攸

袁紹が冀州を支配すると行政をまかされた。袁紹が曹操と開戦するか迷った際は、開戦を主張する。

同じ主に仕える幕僚の審配とは仲が悪く、司令官が審配だったことに不満を持ち、戦意は上がらなかった。

袁紹と曹操が争った官渡の戦いでは、曹操軍に兵糧がないことを知って、主の袁紹に総攻撃をかけるよう勧めた。

だが審配の讒言もあり、袁紹の怒りをかって退けられる。

怒った許放は、昔なじみの曹操の陣を訪れ、降伏した。

許攸の進言を受けて、 曹操は敵の兵糧基地である烏巣を攻撃し、袁紹に快勝した。

冀州攻めでも功を立てた許攸は、「自分がいなければ冀州城は取れなかった」と口にする。 曹操は笑って受けながしたが、他の将軍たちは不愉快に感じた。 許攸は後に同様のことを許褚に言って怒らせ、斬られてしまった。

正史の許攸

袁紹が自分の進言を容れず、さらに思うような報酬を得られなかったことから、曹操についた。

許攸のこの行動を、 曹操の幕僚・荀彧は予測していた。

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