紀霊(きれい)、劉備や呂布と争う袁術に従った武将【三国志 演義と正史の比較】




三国志

袁術配下の将。山東の人。 曹操の幕僚の荀彧の策により相争うことになった、袁術対劉備の戦いで活躍する。

演義の紀霊

五十斤の重さの三尖刀の使い手。

劉備か袁術討伐に出撃してくると、袁術は紀霊を総大将とし10万の兵を迎撃に出した。紀霊は関羽と一騎討ちにおよんだが三十合打ちあっても決着はつかず、両軍引き分けとなった。

一方、呂布は劉備の留守に徐州を奪い取り、衰術は呂布と同盟を結ぼうとする。

紀霊は呂布側から同盟のあかしとして、呂布の配下の高順に約束した物資を渡せと催促された。 すなわち兵糧を要求されるが、袁術が約束を反故にしてしまった。

時来たり、紀霊は劉備討伐のために大将として出陣し、小沛城に迫った。

だがこの時呂布が仲裁に入る。紀霊は招かれて劉備と宴会に同席させられ、戟を見事に射た呂布の説得を受けて兵を退いた。

立腹する袁術に、袁術の息子と呂布の娘を結婚させ、呂布を身内に取りこむよう勧める。

しかし、この縁組は陳珪にたきつけられた呂布に蹴られた。

改めて呂布と争う袁術に紀霊は従うが惨敗。

袁紹を頼る袁術に同行し河北へ向かう途中、劉備の待ち伏せを受け、張飛に馬から突きおとされて死んだ。

正史の紀霊

呂布が宴会に紀霊と劉備を招き、戟を射た話が記録されている。

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