東呉の徳王と名乗った厳白虎の実弟。兄につき従って江南一帯を我が物顔に荒らした。
演義の厳輿
呉郡をめぐって、孫策の軍勢と激しくやり合った。
孫策軍がせまると、兄の命令によって楓橋に布陣して迎撃した。
しかし橋の両側から蒋欽、陳武の水軍の攻撃、正面から韓当の攻撃を受けて、あっという間に敗走させられてしまった。
孫策軍は水陸から寄せて、城を包囲してしまった。孫策が降伏の勧告をすると城内から罵声をあびせる者がいる。
そこで太史慈は矢を射って城兵の腕を壁に縫いつけてしまった。これを見た厳白虎は勝ち目がないと思い、孫策のもとへ弟の厳輿を和睦の使者として送った。
しかし合議の席上「領土は折半したい」と申し出るや、怒った孫策に首を斬り落とされてしまった。
正史の厳輿
勇猛で戦いに長じ、身ごなしが素早いといわれた。
孫策と単独で和睦会談をしたいと申し入れた。
正史では、席上孫策は剣を振るって厳輿を脅し、その隙に手戟を投げて殺したとある。