字は元才。袁紹の甥で、并州の太守。
演義の高幹
官渡で敗れた袁紹のため、兵5万を率いて救援に向かった。伯父袁紹らととともに曹操軍に逆襲をしかけるが、程昱の「十面埋伏」の計にかかり矢傷を負って敗退する。
袁親子は本拠地に戻って兵力を養い、ふたたび出兵することを誓い、高幹も本拠地・并州に帰国した。
しかしその間袁紹は死亡し、袁家は分裂してしまう。并州も曹操の相次ぐ攻撃で陥落した。
そのため匈奴の左賢王に亡命を要請するがこれを拒否され、荊州の劉表を頼る途上、上洛県で都尉の王瑛に殺された。
正史の高幹
曹操に捕まった時、そのまま并州刺史に任じられたが、烏丸征伐がはじまると曹操に背き、壺関に篭もって李典、 楽進
らを撃退。
だが龍城戦を持ちこたえられず、荊州に逃れるところを捕殺された。
袁紹が韓馥から冀州を奪った際、郭図らと使者に立った。