耿紀(こうき)、曹操暗殺のクーデターに失敗【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は季行。洛陽の人。

後漢朝への忠節篤かったが、曹操から召されて魏に仕え、丞相撲から侍中へ昇進。少府も兼ねた。

演義の耿紀

しかし、曹操が魏王となり、皇帝と同じ馬車に乗っているのを憤り、建安二三年 (二一八年)正月、他の者らと協力して曹操暗殺を画策。

計画の全容は、御林軍の長官・王必は酒癖が悪いのでこれを殺して兵権を奪い、献帝を奉って濁の劉備と呼応しようというものだった。

しかし運悪く王必を取り逃がしてしまう。王必が重傷を負いながら曹休に知らせたので、曹休、夏侯惇の部隊が鎮圧し、主犯はことごとく捕らえられ、一

族すべてを処刑されてしまった。首を勿ねられてもなお、 曹操を罵り続けたという。

こののち曹操は宮中の制度を改め、信頼できる人物がつけるようにした。

正史の耿紀

国反乱は、専横目に余る曹操を追い落とし、後漢朝の威信を取り戻すことだった。

耽紀らが殺そうとしたのは丞相長史の王必で、許昌を混乱させた隙に劉備か関羽を頼り、帝を保護するつもりだった。

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