道号は水鏡先生。襄陽のそばに暮らし、劉備に臥龍と鳳雛の存在を教えた。
演義の司馬徽
襄陽の劉表のもとから逃れてきた劉備に一夜の宿を提供し、大望を実現するには軍師を迎えるべきだと勧めた。
劉備が寝ついた頃に徐庶が訪ねてきて劉表に失望したというので「えるべき英傑は目の前におるぞ」とたしなめた。
劉備にその後も臥龍と鳳雛の名をなかなか明かさなかった。
正史の司馬徽
清潔で温雅な人柄で人物を見分ける鑑識眼を持っていた。
襄陽で十歳上の龐徳に兄事して龐公と呼んで親しんだ。水鏡、臥竜、鳳雛というのはみなこの龐徳の言葉である。
こうして襄陽に居を構えると、徐庶や韓嵩、向朗などと交わった。
「水経注図」の襄陽図によれば城市のはずれの大きな河の中洲に龐徳公邸、その河の両岸に司馬徽邸、龐統邸がある。
同じ河の大きな中洲には蔡瑁邸があって城市の反対側には徐庶邸。このように多くの有名な人物が近くに住んでいるのも稀である。