周倉 しゅうそう、関羽に惚れた猛将【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の周倉

元黄巾賊張宝の部将。関西の人。後に関羽の部将となった。

千斤のものを持ち上げる腕力があり、胸板が厚く、鬚(ひげ)がはねあがっているという見るからに強そうな風貌。

黄巾賊の頃ひと目見た関羽を崇拝し、その後、関羽の片腕として生きた。

臥牛山で黄巾賊の残党たちと山賊をやっていたところに汝南に向かう関羽に雑兵でいいから側に仕えたいと申し出た。

手下も同道を願うがひとりだけ関羽についていく。

汝南で劉備が勢力を持つと曹操に攻めこまれた。敗走する劉備を関羽、関平とともに三百の手勢で守り抜いた。

また赤壁の戦いでは諸葛亮の指示で逃げてくる曹操を華容道で待ち伏せた。

劉備の蜀攻略の際は関羽の部将として荊州の守りを固めた。

その後孫権と曹操の挟み撃ちにあい、魏の敵将龐徳を捕らえるなど手柄をたてたものの荊州を呉の呂蒙に奪われ関羽主従は麦城に逃げこんだ。

やがて関羽が処刑されると聞くと麦城で自らの首を釧ねて後を追った。

正史の周倉

演義が創作した人物で正史には登場しない。

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