蒋幹 しょうかん、周瑜と親交があって赤壁の戦いでは逆に利用される【三国志 演義と正史の比較】




三国志

曹操軍の幕僚。孫権との赤壁の戦いの前、曹操軍から派遣されて敵将周傘を探りに行った。

演義の蒋幹

周瑜と親交があったため自ら志願して「この舌先三寸の舌をもって周瑜を降参させてみせます」と曹操に大言を吐いた。

曹操に酒宴まで設けられて敵陣に乗りこんだが周瑜に「説客に来たか」と指摘され動揺する。

酔いつぶれた周瑜の机の上から『蔡瑁張允謹封』の書状を姿んで曹操のもとに帰った。

この偽内通書簡によって蔡瑁と張允は曹操に処刑された。

また黄蓋・闞沢が偽りの投降を申し入れてきた際、その真偽をただすためふたたび周瑜のもとへ赴いた。

しかしまたしても肝心の情報はつかめず、逆に龐統を紹介される。

結局、連れて帰ってきた龐統が、曹操に「連環の計」を進言したために、赤壁での敗北が決定的となった。

正史の蒋幹

曹操から揚州の役所に下命があり周瑜の心を動かせる者として選ばれた。

立ち居振舞いが堂々としており才気があって弁舌の立つことで有名だった。

彼は私用の旅行を装い周瑜に接近した。

そこで聞かされたのは孫権と主従の絆の深さだった。 彼は何もいい出せず帰った。

それどころかすっかり周瑜の度量に感動し称賛した。

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