類まれな知略を持つ軍略家。
知力だけでなく、歴戦の武将たる武のオーラも纏っている。
馬陽の戦い後、趙の宰相(さいしょう)になり国の内政や外交、軍事の主要な案件に携わる。
秦の中華統一の野望にいち早く気づき、それを阻止すべく各国と手を結び合従軍を結成。
中華全土を揺るがす大戦の火付け役となる。
秦の王騎・燕の劇辛(げきしん)を討伐したことで中華で最も注目される存在になった李牧は、合従軍の参謀として戦を総指揮した。
別働隊で咸陽へ
楚の総大将・汗明(かんめい)が討ち取られ函谷関突破が難しくなると、別働隊を率い成陽を目指す。
そして追撃に来た麃公(ひょうこう)を龐煖(ほうけん)に葬らせ、威陽(かんよう)の最終防衛地の蕞(さい)まで迫る。
蕞攻防戦失敗
合従軍の敗北により宰相の任を解かれる。
趙と魏の国境付近の小都市に一時左遷されるが、趙軍が屯留(とんりゅう)を襲撃する前には宰相に戻る。
参考:キングダム公式ガイドブック覇道列紀