曹休 そうきゅう、曹丕のもとで呉征伐を指揮【三国志 演義と正史の比較】




三国志

曹操の族子。

演義の曹休

弓の名手として、銅雀台落成の祝宴で腕前を披露、

その後、濡須口の戦いで凌統の馬を射る。

献帝に譲位をせまって曹丕を帝位に就け、 曹叡の時には大司馬に任命される。

その後揚州司馬大都督となるが、賈逵の忠告を入れずに、呉の周魴の投降を信じて大敗を喫した。

賈逵の策で無事帰還したが、この敗戦が原因で背中に腫揚ができ、病没した。

正史の曹休

曹丕と同様に育てられる。

曹純の跡を継いで虎豹騎を率い、曹操に従った。

曹丕が即位すると、領軍将軍となり、征東将軍に昇進した。

曹丕の孫権征伐では、征東大将軍に任命され、全権を委任されて張遼らの二十余軍を統率した。

曹叡に仕え、 呉討伐に従ったが敗北し、多くの逃亡兵を出した。

曹休はもともと賈逵とそりが合わなかったが、この敗戦の時、賈逵は軍を率いて曹休を救った。

しかし、曹休は賈逵の進軍が遅かったことを恨んでおり、和解することはなかった。

演義に描かれるように、腫揚が原因で死んだ。

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