曹丕 そうひ、魏朝初代の皇帝となる【三国志 演義と正史の比較】




三国志

魏の文帝。曹操の次子。曹操の息子で、曹昴が早世したため実質上の嫡男となる。

文武両道だったが、後継者争いでは一時期曹植が有力視されてた。しかし賈詡の協力などで後継者の座を確保した。

魏王を継ぐと後漢の献帝から神成させて魏王朝を開いた。

政治面で功績はあったが呉や蜀への遠征での成果はなかった。四十歳で死去した。

演義の曹丕

荘厳なな銅雀台の造営の任に曹植と共にあたる。

帝に即位して禅譲台に立ち動するがつむじ風に昏倒して、許都に妖魔が多いとして洛陽に遷都した。

処刑するつもりで曹植に「七歩吟」を作らせるが感動して許した。

正史の曹丕

知識が豊富で人心を掌握し度量が広く公平な人物。

文学的素質があり、『典論』など著書も多数ある。

長年五官中郎将の位に留まり継子とされなかったため、曹植との後継問題での競争心は激しくなった。

呉質らの協力と努力の結果、多くの宮女や側近の支持を集めて魏王を継いだ。決まったときは辛毗の首を抱いて喜んだという。

もとより交友関係は広く涼茂など特に親しい者は文帝の「八友」と呼ばれた。

また閻柔などに頼りにされれば実の兄弟のようにつき合うが曹植派の者などで一度憎しみを覚えると忘れなかった。

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