2020-05

三国志

蒋幹 しょうかん、周瑜と親交があって赤壁の戦いでは逆に利用される【三国志 演義と正史の比較】

曹操軍の幕僚。孫権との赤壁の戦いの前、曹操軍から派遣されて敵将周傘を探りに行った。 演義の蒋幹周瑜と親交があったため自ら志願して「この舌先三寸の舌をもって周瑜を降参させてみせます」と曹操に大言を吐いた。 曹操に酒宴まで設けられて敵陣に乗り...
三国志

鍾会 しょうかい、鄧艾のライバル!魏末期の切れ者だが、姜維と叛乱【三国志 演義と正史の比較】

魏の将軍。字は士季。穎川郡長社県の人。 夏候覇が、魏で鄧艾と並んで油断のならない人物と評した武将。 司馬昭に 「わたしの子房だ」と信頼される。 鎮西将軍に任じられ鄧艾と競う形で蜀攻略を命じられた。 成都陥落を鄧艾に先を越されると、降...
三国志

蒋琬 しょうえん、費禕とともに諸葛亮の後継者に【三国志 演義と正史の比較】

蜀の大司馬。零陵郡湘郷県の人。劉備の荊州時代に書記として仕官した。 劉備に従い益州に入った。北伐の際は蜀に残り、参軍として国内軍を統括する重責を担う。 諸葛亮の死後は費禕とともに蜀を支えた。 演義の蒋琬劉備の死後は諸葛亮の南征に従軍し作...
三国志

荀攸 じゅんゆう、荀彧の甥で曹操に忠言を贈る重臣【三国志 演義と正史の比較】

曹操の参謀。荀彧の甥。穎川の人。 曹操の側におり、呂布を下邳に追い詰めたときも郭嘉とともに進言して生け捕りに成功する。 また袁氏を滅ぼすときも常に曹操の迷いを払い適切な結論へと導かせる役目を果たし曹操を天下の覇者となるように貢献した。 ...
三国志

朱治 しゅち、孫策の旗揚げを支援し、孫権にも仕えた【三国志 演義と正史の比較】

呉の幕僚。孫堅の時代から仕えている。孫権の代になって呉郡太守になっ た。 演義の朱治袁術のもとで落ちこむ孫策に袁術から兵を借り江東を攻めよと進言した。 呂範や周瑜とともに江東に撃って出て、続いて呉の賊厳白虎の首級をあげた孫策から呉郡の太...
三国志

周倉 しゅうそう、関羽に惚れた猛将【三国志 演義と正史の比較】

演義の周倉 元黄巾賊張宝の部将。関西の人。後に関羽の部将となった。 千斤のものを持ち上げる腕力があり、胸板が厚く、鬚(ひげ)がはねあがっているという見るからに強そうな風貌。 黄巾賊の頃ひと目見た関羽を崇拝し、その後、関羽の片腕として生き...
三国志

周泰 しゅうたい、孫権の命を救った武将で陸遜のもとでは沙摩柯を斬った【三国志 演義と正史の比較】

呉の武将。九江郡下蔡の人。 字は幼平。蒋欽とともに長江で河賊などをしていたが、孫策の評判を聞きつけ、蒋欽や配下とともに取りたててもらう。 蒋欽とともに孫策の配下に入り戦いのなかで手柄をたてた。 その後、孫権に仕えた。 宣城では山越の暴...
キングダム

原泰久先生が語った廉頗(れんぱ)というキャラ@公式ガイドブック【漫画キングダム】

原泰久先生:「廉頗(れんぱ)も、どうやって倒すんだろうみたいな強敵に描いてしまいましたけど、結局負けないままでしたね。堂々と帰って行って。 史実でも楚に亡命した記述が残ってましたし。 廉頗は本当に楽しんで描けたキャラでした。見開きのアッ...
ひろゆき

ひろゆき氏、安倍晋三について語る【西村博之氏】

ひろゆき氏「安倍晋三首相って、もともと自分でものを考えてやらないって言うことをやっていて、その結果として失点があまりなかった人なんですよね。 みんながこう言ってるから、じゃあそうしますって言うふうにやってるだけで、安倍さん自身のリー...
三国志

司馬昭 しばしょう、司馬懿の次子で、蜀を滅ぼした晋の文帝【三国志 演義と正史の比較】

晋の文帝。司馬懿の次子。司馬文王。 朝廷を専横し、曹髦を殺し魏から晋の纂奪の機会を窺った。 演義の司馬昭 蜀軍と戦った際、諸葛亮の「空城の計」を見破る。司馬師死後、大将軍·録尚書となる。兄の司馬師が死んで鍾会の助言で洛陽に戻り兄の大権を掌...
三国志

司馬師 しばし、父司馬懿の遺志を継ぎ魏の実権を握る【三国志 演義と正史の比較】

晋の景帝。司馬景王。司馬懿の長子。 司馬懿の遺志を継いで魏の朝廷で実権を握り権勢を誇っていく。 一方で蜀の姜維や呉の侵入を防ぎ、毋丘倹の乱を鎮圧に行った先で病死した。 演義の司馬師 顔が丸く耳大きく、四角の口に厚い唇という風貌。 若い...
三国志

司馬懿、諸葛亮唯一のライバル【三国志 演義と正史の比較】

演義の司馬懿 最初、文学の掾として曹操に仕える。 曹操が生きている間はあまり重用されなかったが、臨終の際に曹洪、陳羣、賈詡らとともに枕頭に呼ばれ、後事を託された。 曹丕に重用される。曹丕の呉討伐の時、尚書僕射に任命され許都の守りを任され...
三国志

司馬徽 しばき、劉備に、臥龍=諸葛亮・鳳雛=龐統を教え、徐庶を紹介【三国志 演義と正史の比較】

道号は水鏡先生。襄陽のそばに暮らし、劉備に臥龍と鳳雛の存在を教えた。 演義の司馬徽襄陽の劉表のもとから逃れてきた劉備に一夜の宿を提供し、大望を実現するには軍師を迎えるべきだと勧めた。 劉備が寝ついた頃に徐庶が訪ねてきて劉表に失望したという...
三国志

兀突骨 ごつとつこつ、藤甲兵三万を率いた烏戈国の国王【三国志 演義と正史の比較】

身長が一丈二尺 (2メートル80センチ近く)もあったといわれる。 演義の兀突骨 穀類は一切摂らず、生きた蛇や獣が主食。 あばらの下には鱗が浮かび、弓や刀も通さないという、化け物のような存在として登場する。 諸葛亮に敗れた孟獲が、帯来洞主...
三国志

呉蘭 ごらん、元劉璋配下で、劉備に降った猛将【三国志 演義と正史の比較】

劉璋配下の将。戦いに敗れてからは劉備に仕え、将軍として魏との戦いで活躍した。 演義の呉蘭 呉懿の推挙で、劉備軍に攻められた維城の救援及び守備に赴く。 黄忠に蹴散らされつつも、何とか奮戦して劉備軍を退却させる。 その後張任の指揮下で働くも...
三国志

左慈 さじ、曹操のもとで道術を存分に披露【三国志 演義と正史の比較】

演義の左慈 烏角先生とも呼ばれる。山中で三十年間道術を学んだ。 ある日雷が落ちて岩が裂け「遁甲天書」という書を得たという。 曹操の元へ来るが劉備の回し者と疑われて拷問されるが高いびきをかき、柳をつけられ牢屋に水一滴与えず七日間押しこまれ...
三国志

司馬炎 しばえん、司馬昭の長子で三国時代を終わらせた晋の武帝【三国志 演義と正史の比較】

晋の武帝。司馬昭の長子。河東郡温県の人。 晋王司馬昭の後継者になり、魏王朝最後の皇帝曹奐禅譲を受けて晋朝を開いた。 さらに天下を統一するために呉を平定し、彼の登場で三国の分裂の時代にいちおうの終焉を見た。 演義の司馬炎 人物魁偉、立てば...
三国志

士燮 ししょう、遠く南方の交阯太守で、孫権との交流を絶やさなかった【三国志 演義と正史の比較】

交阯太守。 演義の士燮記述なし。 正史の士燮若い頃京師で学問して、瀬川の劉子奇に師事した。茂才に推挙され巫県の令から昇進した。 交配は長安や洛陽などから遠く離れた地方にあるので、州の行政のほかに独自の軍事力で異民族を服従させなくてはならな...
三国志

蔡瑁 さいぼう、曹操に降伏し水軍を訓練したが、周瑜の策にはまって…【三国志 演義と正史の比較】

劉表の側近。襄陽の人。 劉表の後妻・蔡夫人の弟で、外戚として権勢をふるう。 劉表の後継者に次子の劉琮を後押しする一派の中心人物。 演義の蔡瑁劉表の命令で孫堅の持っている玉璽を奪いに行くが失敗。 再び孫堅と戦ったが蒯良の策を容れずに惨敗...
三国志

顧雍 こよう、呉の孫権を支えた丞相。陸遜を高く評価【三国志 演義と正史の比較】

呉の丞相。呉郡呉県の人。 演義の顧雍会稽太守張紘の推挙で孫権に仕えた。 赤壁の戦い前夜、開戦の説得者諸葛亮を前に、張昭と共に開戦反対派として周瑜を説得したが無駄に終わった。 劉備より荊州を奪わんと張昭と孫権に数々の進言をした。 ようや...
三国志

呉班 ごはん、「張苞殿と手勢を率いて張飛殿の仇を討ちます」【三国志 演義と正史の比較】

蜀の武将。大将軍何進の属官呉匡の子。 呉で関羽が死んで劉備が呉討伐を起こしたときに従軍した。 のち諸葛亮の北伐に従い、祁山では戦おうとしない司馬懿の軍が動いた時にこれを破った。 演義の呉班劉備が益州の牧となった際に文官武将がうち揃って恩...
三国志

孔融 こうゆう、劉備や太史慈などの客人を厚遇したが、曹操の逆鱗にふれ刑死【三国志 演義と正史の比較】

北海の太守。孔子の第二十代の子孫。父の孔宙は泰山の都尉。幼少の頃より神童と騒がれた才人。劉備や太史慈など の客人を厚遇した。 演義の孔融董卓を征伐するために集まった諸侯のひとり。虎牢関を攻撃するときの八軍に加わり呂布と戦った。反董卓連合軍...
キングダム

蒙驁もうごう、蒙武の父・蒙恬の祖父で長く活躍した老獪な武将【キングダム、史実では…】

嬴政即位後、国政・軍事両面の人材を一新された。軍事面でも顔ぶれが大きく変わる。 昭襄王時代は、白起を筆頭に胡傷、楊授、張唐らの将軍が活躍していたが、彼らはフェードアウトしていく。 嬴政即位時には「将軍に任じられた」蒙驁、麃公、王翦の3人...
サッカー

ポドルスキ(元アーセナル)がアルテタ監督に関するメッセージ!@英紙

ルーカス・ポドルスキーがアーセナルのミゲル・アルテタ監督に関するメッセージを送っている記事を英ウェブサイト「METRO」が伝えていたので、翻訳/意訳しておきます。 34歳のポドルスキはアルテタ監督のもとでアーセナルの「レベルが上がっている...
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