魏呉蜀後の中国
曹操、劉備、孫権らが争い、諸葛亮や陸遜らが、それぞれの国を支えました。
しかし、魏呉蜀の三国は魏の司馬懿(しばい)の孫である司馬炎(しばえん)によって統一されました。
後宮を拡張
さて、その後の中国はどうなったのでしょうか?
混乱や分裂の中、なんとかなった265年晋の初代皇帝となった司馬炎でしたが、統一後は政治に興味を失ってしまいます。
後宮に5000人もの女性を置き、さらに280年に呉の暴君·孫皓(そんこう)を降伏させると、
その後宮の5000人も加えるという笑い話のようなことをします。
そらから晋は統一後すぐに混乱をはじめます。
魏の失敗をふまえた皮肉
また、曹操の後継者で魏王・曹不が、弟の曹植ら皇族の王を迫害して、魏の命運が縮んだことから、司馬炎はあちこちに王を封じました。
しかし、これが原因で291年には八王の乱が勃発しました。
さらにこれに乗じて、匈奴(きょうど)や鮮卑(せんぴ)など異民族が侵入し、313年には晋(西晋)はほぼ滅亡し、
一族が江南に移って、318年に東晋を建てます。
結局、漢民族の国としては、三国の呉と同じ地域を領し、ほかは異民族に奪われたわけです。
三国時代に魏呉蜀などの各国が国土を開拓したことで、それでも各地はなんとかなり、300年後に隋が統一するまで、この混乱は続きました。
参考:『新説!三国志』枻出版社など