文聘 ぶんぺい、曹操軍希少の水軍大将【三国志 演義と正史の比較】




三国志

魏の将。劉表、劉掠に仕え、後に曹操に仕えた。南陽郡宛県の人。

演義の文聘

荊州の将。 蔡瑁の命令に従い王威と共に、護衛の趙雲を劉備から引きはなした。

また、劉備を襄陽城に入れようとする魏延と打ちあう。

やがて荊州は曹操のものとなったが、文聘は呼びだされるまで出頭しなかった。

そしてその理由を、「国を保てなかったふがいなさが恥ずかしい」ためだと涙を流し、曹操を感心させる。

曹操の命を受け文聘は、先導を務めて劉備一行を追った。

以後は曹操配下で活躍する。

赤壁の戦いの前哨戦では、呉の韓当、周泰と交戦し、火船でこぎよせる黄蓋を食い止めようと船を出した。

後に呉を討とうとする曹丕の意を受け、曹真、張遼、張部、徐晃らと共に出兵した。

しかし徐盛の策にかかり大敗。文聘は魏帝曹不を背負い、小舟に乗りうつって逃げのびた。

正史の文聘

魏で数十年江夏の守りについた。

楽進と共に尋口で関羽を破った。

曹丕の時代、孫権の包囲を受けた。だが文聘が動じなかったため、策ありと見て孫権は退却した。

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