2020-07

三国志

文聘 ぶんぺい、曹操軍希少の水軍大将【三国志 演義と正史の比較】

魏の将。劉表、劉掠に仕え、後に曹操に仕えた。南陽郡宛県の人。 演義の文聘荊州の将。 蔡瑁の命令に従い王威と共に、護衛の趙雲を劉備から引きはなした。 また、劉備を襄陽城に入れようとする魏延と打ちあう。 やがて荊州は曹操のものとなったが、文...
三国志

文醜 ぶんしゅう、官渡で関羽に斬られた猛将【三国志 演義と正史の比較】

袁紹配下の将。顔良と共に勇将との名を馳せた。関羽に討たれた顔良につづいて命を落とした。 演義の文醜伝国の玉璽をめぐって袁紹と孫権がにらみあったとき、顔良とともに剣を抜いて、程普、黄蓋、韓当らと相対した。 また、冀州をとった袁紹が公孫瓚の攻...
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文欽 ぶんきん、毋丘倹の反乱に参加

字は仲若。文鴦の父。魏の曹爽恩顧の武将。 揚州刺史として、毋丘倹とともに司馬師に対し反乱を起こす。 兵2万を率いて遊軍となり、楽嘉城を守る。文鴦と司馬師を挟み撃ちにする作戦をとるが、道に迷って失敗。 司馬師の死が近いことを知らせようと...
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糜竺 びじく、劉備古参の富豪の幕僚【三国志 演義と正史の比較】

劉備の幕僚。東海郡胸県の人。 糜芳と劉備の夫人の兄。 演義の糜竺徐州以来の劉備の参謀。 代々の豪商の家の出身。 徐州の陶謙のもとに出仕しており、北海の孔融に加勢を求める使者に立った。やがて徐州を譲られた劉備の補佐を、孫乾と共に務めるこ...
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費禕 ひい、諸葛亮後の蜀の内政の中心人物【三国志 演義と正史の比較】

蜀の臣。江夏郡郡県の人。 演義の費禕劉璋に仕えていたが、劉備にも引きつづき用いられた。 諸葛亮が行なった南方征伐には、長史 (丞相の補佐官)として従い、呂凱、持、馬謖らと共に軍議に連なった。 諸葛亮が北伐に出ている間、費禕は侍中として国...
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潘璋 はんしょう、関羽の青竜刀を奪った呉将【三国志 演義と正史の比較】

呉の将。東郡の発干の人。 演義の潘璋 孫策の死後、孫権のもとに出仕した。各地の戦いで活躍する。 江夏の太守黄祖の攻撃に参加し、蘇飛を生け捕りにした。 孫夫人が劉備と共に蜀へ脱出した際には、陳武と共に追ったが追いかえされた。 荊州攻略に...
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馬良 ばりょう、関羽を補佐した白眉【三国志 演義と正史の比較】

蜀の幕僚。襄陽郡宜城県の人。 馬謖の兄。優秀な馬家の五人兄弟の中で最も優れるといわれた。 演義の馬良伊籍の推薦を受けて劉備に迎えられた。 劉備が蜀へ向かうと、荊州を守る関羽の補佐となる。 樊城攻撃には、伊籍とともに参謀として従った。 ...
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馬岱 ばたい、魏延を斬った馬超の従弟【三国志 演義と正史の比較】

馬超の従弟。馬超に従って転戦し、後に劉備に仕えた。 演義の馬岱馬騰の兄の子で馬超の従兄(正史では従 弟)。 馬騰が曹操に殺されたことを、逃げのびて馬超に伝えた。 この後馬超とともにさすらい、韓遂、漢中の張魯と渡った後に劉備に降る。 ...
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董承 とうしょう、献帝の密詔を受ける【三国志 演義と正史の比較】

後漢の車騎将軍。国舅(献帝の舅)。 董卓死後の混乱の中で、流浪する献帝と行動を共にした。後に、曹操に対する謀反を企んだのが発覚して処刑された。 演義の董承郭氾に追われる献帝を救い、曹操の救援を受けて洛陽へ戻った。 まもなく曹操の専横が目...
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鄧芝 とうし、呉との同盟回復に貢献【三国志 演義と正史の比較】

蜀の幕僚。義陽郡新野県の人。 劉備の死後、争いがつづいた呉と再びよしみを結ぶための使者となる。 演義の鄧芝劉璋の部下だったが、蜀入りした劉備に降伏して重用された。 劉備の死後、諸葛亮に見こまれて、呉へ使者として赴いた。 使者の鄧芝を、...
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陶謙 とうけん、劉備に徐州を譲る【三国志 演義と正史の比較】

徐州の牧。丹揚郡の人。 曹操の父の死の責任を問われて、徐州に曹操軍の侵攻を受ける。 死の間際に徐州を劉備に譲った。 演義の陶謙曹操の董卓討伐の檄に応じて集結した諸侯のひとり。 曹操の父曹嵩の護衛を命じた張團が、一行を殺して逃亡した。 ...
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董允 とういん、諸葛亮・蒋腕・費禕と並ぶ「四相」「四英」【三国志 演義と正史の比較】

蜀の家臣。 演義の董允諸葛亮は、公明正大な董允を見こんでいた。 そのため北伐に際し、『出師の表』にも「董允の志は忠実、純粋」と書いて、宮中の諸事を任せるよう、劉禅に上奏を奉った。 正史の董允董和の子。 劉備によって選ばれ、劉禅の舎人とな...
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滕胤 とういん、諸葛恪とともに孫権晩年の呉臣【三国志 演義と正史の比較】

北海国劇の人。呉の家臣。 演義の滕胤諸葛恪と仲が悪く、孫峻の暗殺計画に加わる。 腹痛だという諸葛恪を無理に酒宴に引っ張り出し、孫峻に斬り殺させた。 正史の滕胤伯父、父ととも、孫権に仕えた。十二歳で父を亡くしたが、孫権に取りたてられ、都亭侯...
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田豊 でんぽう、袁紹の剛直な参謀【三国志 演義と正史の比較】

袁紹の参謀。 演義の田豊公孫瓚との戦いの時、矢ぶすまに遭った袁紹を助け、物陰へ避難させようとした。 ところが逆に「大丈夫たるもの、隠れて生き延びてどうする」と袁紹に怒鳴りつけられてしまう。 曹操が徐州の劉備を攻めた時、後方を襲えと進言。...
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典韋 てんい、怪力無双!曹操の親衛隊長【三国志 演義と正史の比較】

陳留郡の人。八十斤の鉄戟の遣い手。 演義の典韋 陳留太守の張邈の部下だったが、幕下のもの数十人を殺して山に逃れていた。 山中で虎を追っているところで、夏侯惇に出会い、曹操に推挙される。 呂布と戦った時、十数本の我を持って迫り来る敵を蹴散...
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