滕胤 とういん、諸葛恪とともに孫権晩年の呉臣【三国志 演義と正史の比較】




三国志

北海国劇の人。呉の家臣。

演義の滕胤

諸葛恪と仲が悪く、孫峻の暗殺計画に加わる。

腹痛だという諸葛恪を無理に酒宴に引っ張り出し、孫峻に斬り殺させた。

正史の滕胤

伯父、父ととも、孫権に仕えた。十二歳で父を亡くしたが、孫権に取りたてられ、都亭侯に封じられる。

色白で挙措が際立って美しかった。孫権が臨終の時、諸葛、孫酸、呂拠らと枕元に呼ばれ、後事を託された。

太常に任命され、孫亮の輔佐となる。

諸葛恪と親しく、彼の魏討伐も「いまは、まだ早い」と止めるが、聞き入れられなかった。

孫亮、孫峻によって諸葛恪の暗殺計画が進められていた時、張約、朱恩が、暗殺を知らせる手紙を諸葛恪に送ってきた。

これを見せられた滕胤は、酒宴に行かないよう勧めるが、勝気な諸葛恪は聞かず、殺されてしまう。

呂拠の孫継討伐が失敗したのに連座し、武昌に駐屯していた彼も攻められ敗北。

一族は皆殺しにされた。妻のみは、兄の孫壱に救い出され、魏に亡命した。

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