夏侯覇(かこうは)、蜀に降った魏の名族で、姜維の良き相談役【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の夏侯覇

字は仲権。夏侯淵の長子。魏が諸葛亮に対抗するにあたり、司馬懿から推挙される。常日ごろから父の夏侯淵を殺害した濁将の黄忠への恨みを持っていたらしい。

父を殺されたことから、蜀を憎む心は人一倍強く、司馬懿のもと、北伐する諸葛亮軍と戦いました。

しかし、普段から親しくしていた大将軍・曹爽が司馬懿のクーデターによって殺されると、 同族の夏侯覇も疑われ、身の危険を感じて蜀に亡命しました。以来、姜維のよき相談相手となります。

姜維に魏の内情を問われ「鍾会と鄧艾のふたりは、若いが、後々蜀の難敵となるだろう」と答えている。その後、姜維の片腕として北伐に参加。様々な進言をするが、自らの予言通り、鄧艾に阻まれうまくいきません。

先鋒として洮陽に攻めかかるが、司馬望と鄧艾の「空城の計」によって、城に誘き入れられ、上から矢を射かけられる。最期は、五百の兵とともに射殺されました。

正史の夏侯覇

夏侯淵の次男。母は曹操の妻の博昌亭侯。曹爽が殺された他、仲の悪い郭淮の配下となったこともあり、妻子を置いたまま蜀に亡命。

夏侯覇「わしの一族は国家に大功をたてたが、司馬懿がなにをしたというのだ」

夏侯覇の従妹が張飛の妻となり、その娘が劉禅の皇后となっていたため、亡命後も重用され、車騎将軍となりました。

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