袁術の主簿。
袁術が帝位につこうとして閣議を開いた際、天下の3分の2を有しながらも、なお殷に臣従した周の文王の故事を引いて反対しました。
「周の文王は周王朝の基礎をつくった人物である。殷に仕えて西伯と名乗りました。勢いが盛んになり、紂王に捕らえられたが、許されて都を豊邑に遷しました。その人物、政治は儒家の範とされている。」
閻象はこの故事を引用して袁術を諌めたのだが、聞き入れられず、結局袁術は准南の地で帝位を僭称しています。
袁術の主簿。
袁術が帝位につこうとして閣議を開いた際、天下の3分の2を有しながらも、なお殷に臣従した周の文王の故事を引いて反対しました。
「周の文王は周王朝の基礎をつくった人物である。殷に仕えて西伯と名乗りました。勢いが盛んになり、紂王に捕らえられたが、許されて都を豊邑に遷しました。その人物、政治は儒家の範とされている。」
閻象はこの故事を引用して袁術を諌めたのだが、聞き入れられず、結局袁術は准南の地で帝位を僭称しています。