袁紹配下の将。顔良と共に勇将との名を馳せた。関羽に討たれた顔良につづいて命を落とした。
演義の文醜
伝国の玉璽をめぐって袁紹と孫権がにらみあったとき、顔良とともに剣を抜いて、程普、黄蓋、韓当らと相対した。
また、冀州をとった袁紹が公孫瓚の攻撃を受けた時は、公孫瓚と一騎討ちをして追い詰めた。
しかし、もう少しのところで趙雲にはばまれ、やむなく馬首を返す。
やがて袁紹が「曹操討つべし」の檄を発し、再び曹操軍との戦いとなった。
この時、顔良は義により曹操に降っていた関羽に討ちとられた。
文醜は「兄弟同然に親しくしていた」顔良のために、仇討ちを申しでる。
曹操軍に攻撃をかけたが、曹操と荀攸の
策にはまって、混乱に陥った。
それでも文醜は、張遼、徐晃を追いちらす。しかし関羽にはかなわず、斬って落とされた。
正史の文醜
袁紹の騎将。袁紹の命を受け、劉備と共に延津の南で、曹操軍と相対したが、曹操と荀似の策の前に敗れ、討ちとられた。誰に討たれたかについては記述がない。