管亥(かんがい)、孔融のもとにいた太史慈単騎脱出を許し関羽に斬られた黄巾族の残党【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の管亥

黄巾賊の残党。食糧が豊かだとの評判を聞いて、強奪するために賊軍数万を率いて北海の太守である孔融を攻めた。

しかし急を聞いた劉備が派遣した関羽に、あっけなく斬り殺され、孔融は救われた。

正史の管亥

黄巾賊を率いたこと、北海を攻めたことは演義に同じ。

ただし孔融を救ったのは、太史慈だったとされる。当時、孔融に厚遇された老母の勧めで、太史慈は北海にいた。

城の中から太史慈は単騎脱出。管亥軍の囲みを突破し、劉備に助けを求めに走った。

太史慈は平原へ行き、劉備に助勢を嘆願。快く引き受けた劉備から兵三千を借りて引き返し管亥を蹴散らした。

劉備軍が着陣した後、管亥は関羽に一刀のもとに斬り殺されたのである。

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