何進(かしん)、霊帝との外戚を利用して権力を握った後漢の将軍【三国志】




三国志

字は遂高。後漢の霊帝のときの大将軍。

もとは豚殺しを生業にしていたが、妹が霊帝の後宮に入り、自身も出世。

妹は皇子弁(のちの少帝)の母・何皇后。

黄巾族の馬元義を討ち、霊帝に賊討伐の詔を出すように願い出て慮植・皇甫嵩・朱儁の3人の将軍を派遣する。

その後、霊帝の崩御を待ち、袁紹とともに兵5000を宮中に入れ、妹の生んだ皇子弁を皇帝の座につけて権力を握った。

のちに録尚書事を兼務し、邪魔者だった董太后を毒殺し、また、董太后の甥にあたる驃騎将軍・董重を自殺に追い込んだ。

しかし、妹に遠慮して十常待勢力を削ぎきれなかったことが災いして宦官に殺されている。

タイトルとURLをコピーしました