【三国志】悲運の名将!死に様が立派な武将ランキング 4位諸葛亮、5位関羽を超えるトップ3は?




三国志

人の真価は、その「真価」とは忠誠心や悲劇性、潔さなどですが、死に様に最も現れると思います。

多くの武将たちが鎬を削った「三国志」のなかで、死に様が立派な武将ランキング1位に輝いたのは、天水の麒麟児、の異名を持つ姜維でしょう。

第1位 姜維

蜀の再興をめざした悲運の知将!

姜維はもともと曹操軍に属していましたが、諸葛亮にその才能を高く評価され、劉備軍に引き抜かれた人物です。

梯子を外される悲劇

『演義』では、諸葛亮の遺児、として描かれ、諸葛亮の悲願であった北伐に何度も挑んでいます。しかし姜維の北伐中に、蜀の都である成都が魏に攻め込まれると、劉備の子・劉禅はあっけなく魏に降伏。

戻る国を失ってやむを得ず魏に降った姜維は、その後、魏の鍾会をまきこんで蜀の復興を画策します。しかし兵たちの反乱に合い、最後は鍾会や妻子と共に殺害されてしまいます。

1位の理由

支えるべき主が暗愚とされた劉禅であったこと、外征中に守るべき国が滅亡してしまったこと、そして蜀を復興させるために最後の最後まで奔走したが結局は失敗し、殺されてしまうという悲劇性は、1位にふさわしいものでしょう。

第2位 典韋

曹操を守り壮絶な死を遂げた猛将!

典韋は、曹操の親衛隊長を務めた豪傑です。曹操の下に降伏してきた張繡が、隙を突いて曹操に奇襲をかけてきた時、典韋はわずかな部下たちと共に、曹操を逃がすために奮戦。

ただただ曹操のために

得意の長戟で敵を散々に打ち破り、命が尽きる最後の瞬間まで目を見開き怒りの表情を浮かべ、敵を大声で罵倒しながら討死しました。典韋のあまりの迫力に、敵は絶命した後もしばらくは近寄れなかったといいます。

主君・曹操を逃がすために命を賭けて戦った、その忠誠ぶりに涙しない者はいないでしょう。

第3位 陳宮

曹操を見限り呂布と手を組んだ軍師!

陳宮も、その死に様が実に潔い。陳宮は、若き曹操と行動を共にしていた人物だが、その気性の激しさを危ぶんで曹操の下を離れ、後に呂布の軍師となった。

主君を間違えた?!

陳宮は呂布にたびたび献策を行なったが、呂布にはほとんど重用されず、最後は部下の裏切りに遭って曹操軍に敗北。

曹操を許さない!

陳宮は呂布と共に曹操に捕えられてしまいます。曹操は陳宮の才能を惜しみ、なんとか味方に引き入れようとしたが、陳宮は「私を処刑し、軍法を明らかにせよ」と言い、自ら刑場に歩いていったといいます。

第4位 諸葛亮

死んでもなお敵を欺く智謀の持ち主!

第5位 関羽

劉備以外に仕えるならと死を選んだ!

以上、「【三国志】悲運の名将!死に様が立派な武将ランキング」でした。

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