若き日の劉備、没落貴族のアウトロー!【英雄の青春】性格は?勉強は得意だった?なぜ私兵を持てたのか?




三国志

曹操と並んで、三国志の主人公ともいえる劉備。没落貴族だった彼は関羽や張飛といったアウトローを引き連れ、乱世に登場します。その出自そして若き日はどんな青年だったのでしょうか。

何か持ってる少年

「三国志演義」では主人公格で扱われ、蜀の初代皇帝となったのが劉備玄徳。

血統的には前漢の景帝にもつながるとされ、彼の祖父の代では、地方自治体長の官職も得ていました。祖父の最終最高の官職が范県の令(長官)でした。これは決して高い地位ではありません。いまの日本の県知事みたいなものと思ったら全然ちがいます。まあ町長くらいでしょう。しかし孝廉に挙げられて県令にいたったという祖父の経歴・身分より見れば、その家は当然地方豪族の家柄だったのです。

劉備は前漢の中山靖王・劉勝の子孫と言われるが、真偽のほどは定かではありません。父の劉弘が早世したために劉備が生まれたころはすっかり没落し、彼は母とともに草鞋や席を編んで生計を立てるほど困窮していました。

ただ、普通の子供ではない何かを持っていたようです。劉備の家の籬の側にある、大きな桑の木が、遠くからは小さな車の覆いのように見えました。ある人が「この家から必ず貴人が出るだろう」と言いました。劉備自身も幼いころ「僕はきっとこんな羽飾りのついた天子の車に乗るぞ」と豪語していました。

これを聞いた叔父の劉子歌は「滅多なことを言うな。私たち一門を滅ぼすぞ」と戒めたといいます。十五歳の時、母は劉備を游学させ、一族の劉德然や遼西の公孫瓚とともに同

郡の盧植に学ばせました。德然の父は、わが子同様に劉備に学資を出してやり、なぜかと問う妻に「この子は並の子ではないからだ」と言って将来性を高く買っていました。

曹操に比べると、苦しいスタート地点といえる。しかし、没落したといっても貴族ではあり、一族の援助を得て、中央官僚であり儒学者でもある盧植に学ぶことになります。同門には後に豪族化する公孫瓚もいて、これが劉備の将来に重要な人脈を持ちます。

遊侠の人

ただし、当の劉備は積極的に学ぶよりも、乗馬や闘犬、音楽、ファッションなどに凝り、それをツールに人間関係の構築に勤しんだようです。

身長は七尺五寸(約百七十八センチ)、手を垂れると膝まで届き、ふり返ると自分の耳が見えたという、人と異なる魁偉な特徴を持っていました。

言葉少なで、謙虚で、感情を顔に出さず、天下の豪傑と好んで交わりを結びました。あまり頭はよくないにしても、劉備には何か人を魅きつける力があり、親分肌のところがあったのでしょう。

そして、貴族の子弟だけでなく、ならず者や地元の若者とも交わったというから、その関わりの中でアウトロー的社会にも足を踏み入れていったのでしょう。

古代から中国には「遊侠」という価値観に生きる人たちがいて、弱気を助け、強気を挫き、遠かろうが苦労しようが義理を果たすという生き方を旨としていました。

現代社会の「任侠」という言葉は多分に誤解を含む言葉になってしまったが、正しくは同様の意味だ。そして、劉備の幽州や隣の并州には、そんな遊侠の人が多かったのです。若年の劉備は、そんな遊侠の香りが強い人物だったのです。

乱世に乗り出せた資金の出所

後漢末の幽州は、北の異民族、鮮卑が毎年のように侵入した地域で、その鮮卑の土着化さえ進んでいました。馬とのつながりが深い地域で、中山の大商張世平、蘇双らが千金の元手を持って泳郡で馬の販売や斡旋をしていました。初期の劉備を援助した豪商たちは、馬商人であり、劉備はその用心棒だったとの見方もあります。

ともかくこの金によって劉備は「徒衆を合する」つまり私兵集団を持つことができました。劉備二十四歳の時のことです。

ちなみに関羽も元々はボディガードだったのではないかという説があります。彼の故郷は内陸ながら陸塩の産地だからです。

さて、そんな馬の産地で、劉備は、同郷の張飛、河東から流れてきた関羽という、共に庶民の生まれである人物を従えました。

彼らの結び付きは君臣関係という堅苦しいものでなく、『演義』が描くように、多分に任俠的な色合いを濃厚に帯びていました。陳壽は『蜀書』先主伝の評の初めに、「先主(劉備)は広い度量と強い意志(弘毅)、大きく行き届いた親切心(寛厚)を持ち、よく人物を見分けて士人を待遇した」と記しています。

そして黄巾の乱が起こると、劉備は、地元の若者らを集め、義勇軍を編成して鎮圧へと向かいます。ちょうど、師である盧植が、黄州方面の司令官となっていたので、その知己を頼ったのでしょう。没落貴族だった彼ですが、戦闘ならば慣れたもので、この道で彼は世に出ていくことになります。

参考:『新説!三國志』えい出版社、『三国志 きらめく群像』筑摩書房、『三國志群雄録 増補改訂版』徳間文庫

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