蒯越(かいえつ)、劉表傘下の名参謀!曹操曰く「荊州を得たより、蒯越を手中にした方が嬉しい」【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は異度。延平の人。荊州刺史・劉表の補佐。蒯良(かいりょう)の弟。劉綜が曹操に降伏した時には、これに従いました。

演義の蒯越

居候として劉備が荊州に滞在していた時、劉表に贈られた馬を凶馬の的盧であると指摘し、手放すように進言しました。

蒯越の兄である蒯良は馬相を見る名人で、弟の蒯越も同じ道に通じていたのです。

劉備に荊州を奪われるのではないかと案じた蔡瑁と共謀し、劉備暗殺を企てるが失敗しています。

劉表の死後、後妻腹の次子・劉琮があとを継ぐと、曹操が荊州に攻め寄せてきました。

蒯越は曹操に荊州を献上せよという意見に同調、劉琮に降伏を勧めました。

劉綜の降伏後は、曹操から「荊州を得たより、蒯越を得た方がうれしい」と言わしめた逸材で、江陵太守、樊城侯に封ぜられました。

正史の蒯越

劉表が荊州に赴任すると、蒯越は蒯良、 蔡瑁らとともに招かれます。

江夏の賊、張虎、陳生を説得して降伏させるなど、劉表の荊州統治を支えました。

また、曹操の下では光禄勲となっています。

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