蒯良(かいりょう)、劉表配下で、孫堅を討つ策を呂公に授けた策士【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の蒯良

字は子柔。延平の人。蒯越の兄。荊州の劉表の参謀。

劉表に兵糧を要請して断られた袁術が呉に書簡を送ったことから、呉の孫堅が荊州に来攻。

蒯良は劉表に「黄祖に江夏の軍を率いさせて先手とし、殿は荊州・襄陽の軍勢を率いて後詰を」と進言しました。

しかし最前線を守る黄祖が敗北しました。このとき蒯良は、「固く守って出ず、その間に袁紹に救援を求めるべき」と進言しました。

しかし、蔡瑁は討って出るよう強く主張。劉表は結局、 蔡瑁の策を取り上げました。しかし結局蔡瑁は孫堅に大敗。

蒯良は「軍律に照らし斬首にすべき」と主張しますが、劉表は、禁壇の姉・蔡夫人に遠慮して聞き入れませんでした。

この後も、人質にとられた黄祖を見捨てても、孫堅を討ち滅ぼすべきだと進言するなど、かなり好戦的な人物としての一面を見せています。

その後、袁紹に加勢を求める使者にたつ呂公に「待ち伏せの計」を授け、呉の孫堅を山中に戦死させています。

蒯良「それがしが天文を見まするに、将星が落ちようとしております

正史の蒯良

中盧の人。蒯越とは同郷。

宗族が江南を荒らしていた時、劉表は、蒯良、蒯越、蔡瑁を招いて、討伐する良策を尋ねました。

この時蒯良は、「仁愛と信義があれば、人民はついてくる」と理想主義的な政治理念を語り、蒯越は「平和な時と混乱時では政治の方法は違う。いまは策略も必要」と現実的な策を答えました。

劉表は蒯良の案を高く評価しながらも、蒯越の策を採用し、宗族を討伐しました。演義とは違い、正史の蒯良は、平和主義の人物です。

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