司馬懿、諸葛亮唯一のライバル【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の司馬懿

最初、文学の掾として曹操に仕える。

曹操が生きている間はあまり重用されなかったが、臨終の際に曹洪、陳羣、賈詡らとともに枕頭に呼ばれ、後事を託された。

曹丕に重用される。曹丕の呉討伐の時、尚書僕射に任命され許都の守りを任された。

曹丕の臨終に呼ばれ撫軍大将軍となり、 曹叡の輔佐を命じられる。

驃騎大将軍となり、 志願して揚州、涼州の兵馬提督となる。

これに驚いた孔明が洛陽に「司馬懿が謀反を企てている」という流言をばらまいたため官職を剥奪される。

この間、孔明の北伐が開始され鍵は連戦連敗。

曹叡は司馬懿を復職させる。平西都督に任命され孔明との対決がはじまる。

魏には司馬懿以外に諸葛亮と対等に争える武将もなく、たがいに智謀の限りをつくした。

街亭に馬謖を破り西城の孔明に迫るが「空城の計」にはまって撤退する。

この後も、積極攻勢をかける孔明に対し、守りに徹する。

病気の曹真から印綬を受け継ぎ、最高指揮官として孔明と対峙するも、やはり守りに徹して、軽々しく撃っては出ない。孔明に女物の衣装や髪飾りを贈られ、挑発されても動じない。

逆に使者に孔明の日常を問い、「杖罰二十以上は立ち合い、食事は少ししかとらない」と聞き、孔明の死が近いことを予見する。

やがて、病に倒れた孔明が死んだのを、流星によって知り、一気に攻撃を仕掛けるが「死せる孔明」に翻弄される結果となる。

その後、太尉に昇進し、公孫淵の反乱討伐を命じられる。勝利して凱旋すると、曹叡は病の床にあった。大将軍の曹爽とともに、曹芳を託される。

太博に任命され、政治の中枢から遠ざけられたため、病と偽って家に篭る。

この病気の演技で、 すっかり曹爽を嘱して安心させておき、クーデターを起こし、一気に政権を掌握する。

後、孫の司馬炎が鍵から禅譲を受けて晋帝になったとき、宣帝と諡された。

正史の司馬懿

曹丕の時代に尚書僕射西郷侯となる。曹丕の呉討伐の際、撫軍大将軍に任命され、許昌を守るよう命じられた。

曹丕の臨終のとき、曹真、陳羣、曹休とともに呼ばれ、曹叡の補佐を託された。

呉が襄陽に攻めてきたとき、呉将の張覇を斬って勝利。驃騎大将軍になる。

降将・孟達が反乱を起こしたとき、曹叡は信じず、司馬懿も参謀の梁幾を派遣して調査させた。それに驚いたため、孟達は反乱したともいう。

新城の孟達を攻め、その配下を誘い、内応させて城門を開かせた。わずか十六日で陥落。孟達の首を斬って曹叡に送った。

曹爽らが天子に従って高平陵へ行った留守にクーデターを起こす。しかし、この時曹爽のもとにいた天子には、コックや食器類を送って慰撫している。

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