司馬師 しばし、父司馬懿の遺志を継ぎ魏の実権を握る【三国志 演義と正史の比較】




三国志

晋の景帝。司馬景王。司馬懿の長子。

司馬懿の遺志を継いで魏の朝廷で実権を握り権勢を誇っていく。

一方で蜀の姜維や呉の侵入を防ぎ、毋丘倹の乱を鎮圧に行った先で病死した。

演義の司馬師

顔が丸く耳大きく、四角の口に厚い唇という風貌。

若い頃は左遷された父司馬懿と不遇をかこち弟の司馬昭と三人で行動した。

諸葛亮には上方谷で焼き殺されそうになり、これ以後けして諸葛亮の誘いに乗らず「忍」の一字で陣中で耐えた。

やがて諸葛亮が病没して運が開ける。魏の兵権を握った曹爽をクーデターで倒し、魏の皇帝が曹芳になった頃には朝廷の権限を一手に握った。

司馬懿の死後、大将軍となっていたが、呉帝孫権が死去した隙をつき、呉討伐をするが失敗。逆に諸葛格に攻められるが、持久戦で撃退した。

曹芳と夏侯玄や李豊が謀反をもくろむがかえって反対勢力を一掃し、曹芳を廃し曹髦を立てた。

剣履昇殿も許され魏の曹操のように事は着々と進んだが突然の病死する。

左目のこぶが痛むので切除して静養していると、毋丘倹の反乱が起こる。病をおして討伐に向かうが、陣中で傷が裂け、眼球が飛び出してしまう。

反乱は鎮圧するが、傷が悪化した司馬師は、弟の司馬昭に後を託して死去した。

正史の司馬師

政治を取り仕切った頃に王基より進言されて許允などの正直の士を登用した。陳羣の子の陳泰と親交があった。

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