魏の明帝。曹丕と鄭夫人との子。
司馬懿を重用し、呉、蜀に対抗したが、晩年は土木工事を行ない、民力を疲弊させた。
演義の曹叡
皇太子の時、狩りで親鹿を失った子鹿を射ることはできないと訴え、「仁徳の王だ」と曹丕を感嘆させる。
即位すると司馬懿を重用するが、蜀の馬謖の策でこれを疑い、華歆の進言を容れて司馬懿から兵馬の権をとりあげた。
孔明が出陣すると、緒戦に敗れた曹叡は心細くなり、司馬懿を復帰させ、以後全権を任せた。
蜀の孔明の死後、宮殿を造営して天下の美女をあつめ、銅人を鋳造させるなどをする。
これを諌めた張茂、嫉妬を口にした毛皇后を殺した。
やがて枕元に殺した人々が現われるようになり病床につく。
死に臨んで、わが子曹芳を呼ぶが、曹芳は司馬懿に抱きついて離れなかった。
数多くの戦果をあげた司馬懿を曹叡は信頼し重く用いた。
この結果、魏における司馬懿の権力基盤は強固なものになる。
死に際しても曹叡は、太子の曹芳に、司馬懿を父と思って敬えと言い残している。
正史の曹叡
幼時から学問に没頭し、祖父曹操に愛される。
即位後は政務に励み、身分の低い者の上書まで自ら読んだ。
演義とは異なり、土木工事を諌めた楊阜高堂隆らを許している。
優れた容姿だったことが知られている。