字は元機。京兆の人。黄門郎や漢陽の太守を歴任し、中央にも認められて召され、議郎を拝命。
やがて中郎将に昇進し、この時、武陵郡の太守を兼任する。
演義の金旋
武陵郡の太守としてしか登場しない。
赤壁の戦いののち、荊州南部の領有を狙う劉備は、張飛を武陵に向かわせた。それを聞いた金旋は、武器をととのえ応戦に出ようとした。
従事の鞏志が、降伏するのが上策だと諌める。金旋は、賊軍に内通したのかと怒り、鞏志の首をうてと命じるが、属官たちの嘆願により取り止めた。
自ら兵を率いて出馬すると、城から20里の地点で張飛と対時。金旋は太刀をまわし、斬りかかろうとするが、張飛に大喝をあびて、顔色を失い、馬を返して逃げ始める。
城下まで来ると、寝返った鞏志が、城壁の上から矢を降らせ、そのうち一矢が顔に命中し、金旋は死亡した。
正史の金旋
劉備に攻められて死亡、とだけ書かれている。