邢道栄(けいどうえい)、劉備に徹底抗戦し、最期は趙雲に討たれた零陵の暴れん坊【三国志 演義と正史の比較】




三国志

零陵の太守・劉度と、その子の劉賢に仕え、勇猛ぶりから兵権を預けられた豪傑。

演義の邢道栄

荊州の守りを盤石にしようと、南郡に攻めこんできた劉備軍に対して、徹底抗戦を主張。

劉備が攻め寄せて来ると、劉賢とともに、1万の兵を率いて出撃した。城外で対陣すると、邢道栄はまっしぐらに敵陣へ斬り込む。

張飛が迎え撃つと、六十斤(約13キロ)の大斧で応戦するが、かなわず退却した。

すると今度は、超雲が行く手をふさいだので、観念して降参した。

「劉賢を降伏させてくる」と嘘をついて釈放されるが、それは実は孔明に見透かされていた。さらに自ら夜襲時の内応を申し出て釈放される。

帰陣すると諸葛亮の予想通り裏切り、夜襲に来た劉備軍の攻撃に出る。

ところが、それは囮の部隊で、その隙に張飛に陣を奪われてしまう。そこで、逆に敵本陣の襲撃に向かうが、途中であらわれた超雲に突き殺された。

正史の邢道栄

記述なし。

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