朱治 しゅち、孫策の旗揚げを支援し、孫権にも仕えた【三国志 演義と正史の比較】




三国志

呉の幕僚。孫堅の時代から仕えている。孫権の代になって呉郡太守になっ

た。

演義の朱治

袁術のもとで落ちこむ孫策に袁術から兵を借り江東を攻めよと進言した。

呂範や周瑜とともに江東に撃って出て、続いて呉の賊厳白虎の首級をあげた孫策から呉郡の太守に任じられた。

その後赤壁の戦いでは周瑜の指示で三口江に陣取ることになり呂範と共に四方巡警使として出陣した。

正史の朱治

孝廉に推挙され従事となったが孫堅の配下になり司馬に任じられた。

孫堅の本隊とは分かれ独自の騎兵と歩兵を指揮し徐州の陶謙を援護した。

十五になった孫権を孝廉に推挙して孫策亡き後も新たな主人を盛りたてた。

その一方で異民族や山越の討伐を行ない平定した。

孫権は帝位に就いても彼に対する礼節を忘れず終生特別な待遇であった。

朱治は慎ましい性格で友人にも恵まれた。真っ直ぐなところがあり、たとえ孫権の弟であっても孫翊のわがままを責めて教え諭し、張温など有望な人材を起用することに努めた。

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