荀攸 じゅんゆう、荀彧の甥で曹操に忠言を贈る重臣【三国志 演義と正史の比較】




三国志

曹操の参謀。荀彧の甥。穎川の人。

曹操の側におり、呂布を下邳に追い詰めたときも郭嘉とともに進言して生け捕りに成功する。

また袁氏を滅ぼすときも常に曹操の迷いを払い適切な結論へと導かせる役目を果たし曹操を天下の覇者となるように貢献した。

演義の荀攸

曹操の賢者募集に叔父と馳せ参じて行軍教授となった。

官渡の戦いを経て赤壁の戦いの際には、すでに勝利を確信している曹操を心配し火攻めを警戒するよう進言する。だが聞き入れられずに大敗した。

その後西涼の馬騰をおぴき寄せて殺すように進言し成功したが馬超の報復の戦いで曹操軍は苦戦を強いられることとなった。

のち侍中の王粲が曹操に醜王につくよう発議したが、これに対して名分がないことを理由に反対した。

曹操は「荀彧の二の舞になりたいのか」と退けたが、その直後に荀攸は病死。

曹操はこの死にはばかり魏王の件は延期となった。

正史の荀攸

思慮が深く物事を処理する判断力があった。

常に謀を巡らしているが発言の内容が一切他人に漏れない性格だった。

特に親しかったのは鍾繇で、幼い子を残したまま死んだ荀攸の家族の面倒を見たほどだった。

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