曹爽 そうそう、司馬懿に政争で敗れる【三国志 演義と正史の比較】




三国志

曹真の子。大将軍。武安侯。

病床の曹叡から司馬懿と共に幼帝房の補佐を命じられる。

しかし司馬懿を太傅に棚上げして朝廷の実権を掌握。

夏侯玄と蜀征伐(駱谷の戦い)を起こした。

司馬懿が病気のふりをして油断させると、曹爽はすっかり安心して曹義や桓範らの諫言にも耳を貸さず、皇帝と同等の暮らしをして遊蕩にふける。

しかし曹爽が皇帝や弟、家臣らを引き連れて巻狩りに出ると、司馬懿は腹心の部下を率いて、王宮や要所を掌握、曹爽弾劾の上表文を奏上した。

曹爽は抵抗はかなわないとみて降伏するが、司馬懿に反乱の証拠をねつ造されて処刑されてしまう。

演義の曹爽

魏の実権を手中にした後は酒宴にあけくれ衣服も調度品も天子と変わらないほどの贅沢三昧を続けた。

司馬懿の動向を部下の李勝に探らせたが相手の病気の芝居を信じこんだ。

政変で大権を奪われ館に兄弟と閉じこめられ食糧に困った際に司馬懿に米などもらうと再び油断してしまうお人よし。

正史の曹爽

曹一族のなかで若い頃から威厳があったので曹叡に寵遇された。

曹芳の時代になると大将軍のほかに侍中の位をもらい特別待遇を受けた。

彼には何晏、李勝、丁謐などの側近がいたが、いずれも有名だが内実に乏しい人物だった。その一方で才人の部下を機嫌を損ねただけで左遷した。

夏侯玄とは気質が合って公私共に親しかった。

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