【三国志の名言】乱世の奸雄・曹操の遺言とは?考古学的な研究によって改めて証明された高潔さ!




三国志

何周遅れでしょうか、今さらですが、海外ドラマ「ゲームオブスローンズ」(『七王国の玉座』)にハマっています。架空の物語ではありますが、権力者の死際というのは様々で、それによって後世への伝わり方は随分と変わるのだなぁと考えさせられます。

さて、それは史実をもとにした三国志の世界でも同じであるようです。とりわけ『正史 三国志』における「主人公」曹操の最期、その高潔さはおよそ1800年の時が流れても色あせることはありません。

220年、前年に斬られた関羽の首が、孫権から洛陽の曹操のもとへ送られてきます。曹操は一時、自分の部下として袁紹と戦ったこの豪勇を、諸侯の礼で葬っています。

しかし、関羽を送って間もなく、曹操も病に倒れ、この世を去ります。

曹操は「天下は安定していないから、盛大な葬式は不要。埋葬が終われば服喪もやめろ。私の遺体を包むのは平服でいい。金銀珍宝を墓に入れるな」と遺令しています。

2008年から発掘され、その位置や形状から曹操の墓とされる曹操高陵ですが、そこから、遺体を包む高価な玉衣は見つかっていません。

晩節を汚すような権力者は多いですが、曹孟徳という人物が紛れもない英雄であったことをあらわしていると思います。

参考:『新説!三国志』枻出版社

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