霍峻(かくしゅん)、孟達配下の時代の馬超には苦戦も、孔明の下で葭萌関の守り通した勇将【三国志 演義と正史の比較】




三国志

南郡枝江県の人。劉の建寧太守、霍弋(かくよく)の父。劉表に仕え、その死後、劉備に臣従しました。荊州が劉備の掌中に移ってから、蜀の孟達に推挙されて劉備に仕えたのです。

演義の霍峻

孟達とともに葭萌関を守備。漢中の張魯に仕えていた馬超に攻められ苦戦し、劉備に援軍を求めました。馬超の帰順後は再び関を守った。

その後、曹操軍の張郃が葭萌関に攻めたとき、援軍にやってきたのは老将の黄忠と厳顔。

霍峻・孟達は「諸葛亮の頭も鈍ったか」と笑ったが、この老将コンビが奮戦し、張郃を撃破して追い払ったうえ、劉備を葭萌関に迎え入れることに成功しました。

正史の霍峻

劉備が成都攻略に向かう際、葭萌城の守備を任されます。

劉璋配下の武将に率いられた一万余の軍勢に包囲されるが、わずか数百人の兵で、これを守り通しました。

のみならず、相手の油断をついて精鋭をそろえて出撃。敵を大いに撃破し、敵将・向存の首を取りました。

劉備の蜀平定後は梓滝太守・裨将軍に任じられました。

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