華佗、関羽を治療し曹操の頭を切開しようとして殺された神医【三国志 演義と正史の比較】




三国志

沛国譙の人。広陵の太守・陳登の病気を、 赤い顔のぬるぬるした虫を吐かせて治した話は、正史にも見られる。

演義の華佗

会稽の郡吏・虞翻の紹介で診察を行ない、孫策の幕下の董襲の槍傷を治し、重傷で危篤状態の周泰を救った。

孫策が許貢の食客三人に襲われた時は、華佗の弟子が治療した。

また、毒矢を受けた関羽の治療も行なった。 荒療治に平然と耐えた関羽の態度を、華佗はほめたたえ、治療費を受けとらずに去った。

曹操が頭痛に苦しんだ時には、華歆が曹操に勧めたことから招かれた。

華佗「曹操殿の頭痛を治すには頭を切り開く必要がございます」

しかし曹操は恐れ疑い、華佗を暗殺者と決めつけて投獄する。賈詡が曹操を諌めたが、結局華陀は殺された。

正史の華佗

沛国の相だった陳珪が孝廉に推挙したりして仕官させようとしたが、いずれも断わった。

曹操の頭痛の治療に当たったが、帰郷の念が募ったので家に戻り、何度うながしても戻ってこなかった。

そのため怒った曹操に投獄される。荀彧が命ごいをしたがかいなく、華佗は殺された。

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