許靖(きょせい)、諸葛亮とともに劉備に皇帝即位を請う上表【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は文休。蜀郡の太守。

劉備が益州の牧となると、将軍・長史として取り立てられた。さらに劉備が漢中王になる時に太博、帝位についた際には、司徒に任じられている。

演義の許靖

劉備の意を受けた馬超が成都の劉璋に降伏勧告をすると、ただちに城壁を乗り越えて帰順した。

劉備の漢中王即位式では、法正とともに王冠ならびに璽綬を奉った。

荊州の関羽が呉の呂蒙に討たれたと聞くとひそかに諸葛亮へ知らせるが、彼は天文を見てすでに知っていた。

曹丕により魏が建国されると、諸葛亮とともに、皇帝即位を請う上表をする。劉備が断ると、帝位に即かないと衆望を失うと言上した。やがて、劉備が皇帝となると、司徒に任じられた。

正史の許靖

後漢の尚書令として官吏選抜を担当。

董草政権では汚職官吏を追放し、韓馥、劉岱らを抜擢した。

韓馥らが反董卓連合に加わると、董卓の怒りを恐れて各地を渡り歩いている。

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